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平成14年度 大阪市まちづくり講座 第2回『まちづくり活動車座討論会』議事録
 
 大阪市まちづくり講座では、第2回講座として、『まちづくり活動車座討論会』を開催しました。“まちづくり活動車座討論会”と題して、3名の方々に“現在取り組んでおられる活動”をご紹介いただき、“まちづくりに取り組むようになった個人的なきっかけ”“まちづくりの楽しさ”などお話いただきました。
 
**講師プロフィール**
 
 
●討論の内容
 
 私はコーディネーターということで、あまり自分の主張をせずに、土居さんと六波羅さんのお話を引き出す、そして皆さんとのつなぎをさせていただきたいと思っています。
土居さんは20数年いろんな形でまちづくりに携わってきて、いろんな情報を持っておられますが、今日はごく僅かな時間しか喋っていただけないので、どちらかというとまちづくりの初めの第一歩をどういう形で踏み出したらいいのかというような話を重点的にしていただきたいと思います。まちづくりをやっている中で、いろんな問題が起こったり、楽しいことがあったりするわけですが、そういう意味ではできるだけ皆さんの立場に近いところでお話をいただけるかなと思っています。
早速お二人のお話をお聞きしたいと思いますが、私も15年ぐらいいろんな形でまちづくりを応援させてもらい、また一市民としてもまちづくりをしていますが、先ほど紹介にあった豊中駅前の中心メンバーがこんな話をされました。豊中駅前というのはまちづくりで有名になって、いろんな所へ講演で呼ばれる。講演が終ったあと「豊中は非常に頑張って、うちはまだまだそこまで行ってないので大変ですわ」と来場者から言われるときは非常に寂しい思いをすると。どういうことかというと、私も豊中駅前の当初からお付き合いしていますが、当初はそんなにうまく行っているわけではなかったんです。苦労してまちづくりを大きくしてきたわけですが、その過程について講演しているのに、どうも豊中はとても順調にいっているように聞こえてしまうらしく、「いいですねえ、豊中は」という声をかけられる。「いえ違います。最初は一緒だったんですよ」ということがなかなかお伝えできないという寂しさを感じるとおっしゃってました。
土居さんも六波羅さんも今はある程度順調にいってらっしゃるわけですが、当初は皆さんと同じように第一歩を踏み出されたのだと思います。確かに現状では天神橋とか空堀のまちづくりは、皆さんのまちづくりよりも一歩も二歩も先に進んでいるかも知れませんが、当初は自分と同じところからスタートしたのだということを前提にお話を聞いていただければと思います。
今日は3回ほどマイクをお回ししようと思います。最初お二人には自分の紹介あるいは自分の街の紹介をしていただくとともに、まちづくりに足を踏み入れたきっかけみたいな話をお伺いすると、皆さんのご参考になるのかなと思います。2回目は、長年まちづくりをやってきて良かったこと、大変なことなど、エッセンス的なところで皆さんに何か話題を提供していただければと思います。出来るだけ楽しい話をと考えていましたが、楽しいばかりがまちづくりではありませんので、大きな壁にぶつかった時にどうやって解決したかというのもお話いただければと思っています。それから、皆さんと質疑応答をさせていただいて、最後にもう1回お二人に皆さんへの最後のメッセージ、頑張ってくださいというメッセージになるかと思いますが、そういう形で進めたいと思います。
それでは1回目、お二人で活動されているまちの紹介、あるいはその中での役割の紹介と、それを始められたきっかけみたいなお話を10分程度でお願いしたいと思います。まず土井さんのほうから情報提供をお願いしたいと思います。
土居  10分で全部お話することは出来ませんから、入り口みたいな話をします。今日はこんなに沢山集まって頂けるとは思っていなかったので、こういったことに関心を持つ方が大阪の中に沢山いらっしゃるのだと大変心強く思いました。商店街のおっちゃん・おばちゃんは、この会場には、いてへんような感じですけどね。まちおこしのきっかけというのは私が30代の頃、(実は今65歳で定年ですが、せめて停年にならないように、もうちょっと動かすような定年になりたいと思っていますが) 商店街の役員に引っ張り込まれたんですね。商店街の役員というのは、なかなか「なり手」がいない、しかも上の層が非常に高齢化。皆さん、商店街というのはよくお分かりでしょうが、たいがい今でも70歳80歳の人が役職の一番上を占めている。そのことが良いかどうかは別として、そういう高齢化社会と同時に硬直化社会、こんな中で、38歳で商店街に入った人間に何が出来るのか、という気持ちもありました。しかし一方では、地域社会の中では皆さん方もそうでしょうが、結婚されて子供ができて幼稚園・小学校に入ることになってくると、だんだん組織の中に入り込まされていくんですね。幼稚園で「PTAに入ってください」、そのうちに「会長やってください」、小学校に入っても「そのまま続けてください」、そういう仕組みの中で地域社会人というのは育っているでしょ。私もご他聞に洩れずそういう社会の中で、なんとなく引っ張り込まれてやってきて、何年かやっているうちに、俺の考え方と地域組織とは何か違うというふうに感じたわけです。
何が違うねんと言うと、商売人らしくないですね。指導員とかPTAとか、社会福祉協議会とかいろいろあるが、その組織というのは市の行政が束ねている組織。我々北区ですから、北区役所が全部管理している、その中で私たちが、いろんな仕組みに協力をしてるんですよ。そのことは地域社会を守るには大事なことなんです。その地域の生徒が怪我をしないように、何かあったら連絡できる、そういう守りの姿勢は大事なことですが、まちを発展させるという攻めの姿勢が出来るかと考えたら、それは出来ないと。そういう組織では守りの姿勢は出来ても、攻めの姿勢は出来ない。今でこそ商店街の空洞化というのは非常に叫ばれていますが、実は40年前ぐらいからどんどん空洞化は始まっていたんです。私たちが商店街の天神橋筋の組織の中に入った時は、正に最悪の時代でしたね。カラー舗装も出来てない、アスファルト。この頃のアーケードといえばテント張りでした。そんな中で、商店街の組織が何をしているかというと、売出しを年2回やって、天神祭りをやって、1年たったら、「次は誰が役員になんねん」というようなことで、根回ししながら次の人がなっていく。ある意味では仲良し組織。しかし、仲良し組織では何にも出来ない。これはちょっと違うかなと。これならPTA組織とあまり変わらない。何か変えていかないと、商店街の体質も変わらないし、発展も出来ないだろうと。単純にそういうことなんです。
組織の変更をいろいろ考えて、初めは任意の商店街でしたが、だんだん若手のグループを結束させて、やがて振興組合となり、老人の組織を切り替えたんです。しかし、年配の方が沢山いらっしゃいますから、その方たちを理事長、副理事長に据えて、私は単なる近代化委員長ということで。本当は実働部隊なんですね。近代化委員の中では我々は青年部ですから、その青年部が結束しながら何かをやっていこうと。一番大きなインパクトを与えたのは、商店街が商店街の中にカルチャーセンターをつくったこと。ちょうどこの会場位の大きさの空き店舗があったから、それをなんとか開発していこうと。商店街ならばお店が売れてたらええやん、魚屋さんがなかったら魚屋さんを持ってきたらええやん、というような発想なんですが、それでは面白くない。何かこれまでにないようなものをもたらしたらどうか。皆さん方のような商店街と関係のない人たちの意見も沢山聞いて、その結果が、「文化をやったらどうや」ということだったんですね。商店街には伝統文化もありますし、天神祭りというのはその最たるものですが、その伝統文化は当然守っていかなければいけない、というよりもっと発展させていかなければいけない。大阪はとくに文化不毛の土地といいますが、そんなことはない。若者文化が沢山あるんだから、それを増やしていこう、触れ合いを大事にしていこうと。アメニティというかハード整備は後なんやという考え方でした。
日本で初めて商店街が文化をやりだしたということに、日本中の人たちがこちらに目を向けたこともあります。今でこそいろんな助成金ができて、それを活用しながら皆さん方やっておられますが、その当時は助成金の助の字もなかった。アーケード・カラー舗装にお金を出すぐらいが、せいぜいだった。その中で、それを切り開いてやっていった。そのことが日本中に広がったんです。日本中に広がったカルチャーセンター、銀行の跡地を使ったり、空き土地を使ったりしながら、次から次と地方行政のお金を使いながらカルチャーホールをつくってきたが、今ほとんど残っていない。なぜかというと、他人の金でやっても残らない。他人の頭を使ってイベントをやっても何も残らない。おまけに商店街の理事長というのはコロコロ変わっていく、生みの親と育ての親が別々だったら何も育ちません。国や地方行政も、商店街を何とか支援してやろうと思っていたにも関わらず、その金が何年かで全部パーになってしまう。もったいないじゃないですか。結果的には無駄金になってしまう。そんなことの繰り返しが現在に来ているような気がします。
私たちは、とりあえず自らが立ち上がって頭も金も出しながら、体も使いながらやってきました。そのことが、文化を生む、街の活性化につながるんです。他人の金をあてにして、おまけに自分は労力を使わない、そういう組織の中では、発展性は全くない。そんなことを痛切に感じましたね。
いろいろと挫折が、大方は挫折続きですけど、暗い話はしないでくれと言われていますが、日の当たる場所に来たのはここ1、2年かなあと思います。自己宣伝するわけではないですが、拙著『天神さんの商店街』の資料にはいっぱい出ていますが、そういうことを繰り返してきた結果、やってきたという成果が生まれてきたからこそ、私はここにおられる、喋らせてももらえる。成果のないものはいくらやっても駄目。成果物をどうつくるかということが大事な仕掛け、それを皆さん方に知ってもらいたいのと、そのことによって次に何が起こるか。商店街再生というのが今、私たちの日本中の大きな問題なんです。90%が衰退、繁栄しているのは10%。大阪市でいえば商店街400位組織がある中で、1年間に2000店舗位やめるか潰れるかしている。10年たったらなくなりまっせと。それでもいいのか、それでも商店街がなくなっても皆さん何の不自由もないのかというふうなことを、できれば次のチャンスにお話したいと思います。もう10分たってしまいました。
 ありがとうございました。私も15年前にまちづくりを始めて、土居さんの「この1、2年でやっと日が当たってきた」というのは、自分なりにも何となく分かりますね。15年前には、ほとんどの先生方はまちづくりに関心なかったですね。今年11月16・17日と、都市計画学会が大阪市大であったんですが、3分の1ぐらいがまちづくりの論文ですね。そういう意味では、やっと、まちづくりというのが日本全国でやられるようになったのかなと思います。それでは次は六波羅さんにお願いします。 
六波羅  皆さんにお配りした資料の中に、からほり倶楽部の活動ということで列記しております。私どもは土居さんとこと違って、まだまだひよっ子でして、昨年4月「空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト」といって、初めての会合をしたわけです。「なぜか」はさておき、1年半で、ここに列記してあることをこなして来たわけですが、そもそも別地域の人たちが集まった組織です。天神橋筋商店街というのは自分とこの商店街が中心ですが、我々は全然違う、奈良から来てる方とか、いろんな方がおります。私はたまたま14年位前から空堀に住んでいますが、、、
建築をやっている関係から、古い長屋とか石畳とかがどんどんなくなっていくのを、なんとか残したいという思いから、自身、活動を始めているんですが、それだけでは済まないことがだんだん分かってきました。で、この活動に至るわけなんですが、それぞれの友人、あるいは小さい会社の経営者、建築関係の方々が集まって、「こうやっていけばいいのではないか」「ああやっていけばいいのではないか」ということをやるようにしています。一つには、お金儲けをしたりすることが目的ではないから、やりたいことをやっていこうと。助成金も一切頂いておりません。例えば、空堀商店街は、通りとしては1本ですが、3つの商店街に分かれています。「商店街でこういうことをやりますので」と挨拶に行く。商店街の人達は、その時は話を聞いてくれるんですね。なぜかというと、「何かするのに、助成金ぐらいはついているんやないか」、と思っているから。今でこそやっと分かってきたのですが、良かれと思ってやっている助成金制度が、逆にその効果をぬいているのかなと思います。私たちが商店街のお金目的で活動しているのではないかと疑われて、結局は私たちの話を聞いてもらえない、マイナス思考で反対されるみたいなところがありました。
反対されたら余計にやってやろうという性分でして、空堀に住みたいとか店を出したいとかいう人たちと一から始めて行こうと考えました。古い日本の家屋、長屋に住みたいとか、事務所借りたいという人かおられたので、そういうことからやって行こうと。とりあえずフランス料理屋さんを南船場から空堀の路地に入ったところに誘致しました。それが結構話題になって、空堀を見にこられたりする人が増えてきました。空堀の良さを知ってもらおう、知らない人たちにもそこの人たちに良さを知って頂こうという意味で、“からほりまちアート”を立ち上げました。これは今年、第2回目を開催しました。毎年秋に開催する予定です。
実は空堀に住んでおられる方が、空堀をどう思っているかというと、「汚いまち」とか「古いまち」とか言われる。そういイメージがあったので、当初は、「空いている長屋があれば貸してください」とお願いに行くと、もしかしたら私たちは不動産屋みたいに思われていたんでしょうか、ほとんどが玄関先で断られるんですね。私たちは長屋をどういうふうに見ているかというと、古い柱があって黒光りした梁があってと…。私は今年の1月からこの長屋に住んでいるんですが、長屋暮らしの厳しさを知らないわけですね。で、汚いし、ホコリかぶっているし、イタチが出るし、虫は沢山おるしね。そういう状態ですから、地元の人たちは信じてくれないですね。「何を変わったこと言うてんねん」、「不思議なやつやなあ」とか。「お前ら騙すんとちゃうか」といった雰囲気で断られましたね。
空堀というのは上町台地にあって坂道が非常に多い。石垣があって、石段があって、その勾配に面して長屋が段々にあって、非常に面白い。こういうところをアーティストにアートしてもらおうと、作品をその街の雰囲気に合った形で、いろんな所に展示してもらいました。皆さんのお手元に、私たちが“からほりまちアート”を開催するときにつくった地図があると思いますが、まちのいろんなところに作品を展示してもらいました。結果、全員のお話を聞いたわけではないですが、「あそこにもいい格子が残っているやろ」とか「ここにも石畳があるで」とか、「あそこの長屋は壊されるんやで」とか、いろいろな発見や情報のやり取りがありました。まちの人に、そういう“古いもの”とか“他にはないもの”がここにあるんだという意識が、ある程度植え付けられたと言ったらおこがましいですが、そういうふうなことが出来てきたように思います。そういった過程の中でいろいろ思うんですが、日本人は「ここは自分の土地だから何を建ててもいい」という概念がある、もしかしたら大阪はもっとひどいかも知れませんね。そういった部分で、まち自身を自分のものと思ってくれれば、まちづくりの近道になるのではないか。各々の意識が一番大事なのではないか、というようなことが分かってきたというところがあります。
富山県にもそういう、まちをアートするところがあって、実際に現地を見てきました。そこでは住民の意識が変わっていて、「ここは自分のまち」という思いを抱いておられました。住民はここのまちが好きなんですね。それはひしひしと分かります。そういうようなまちになれば、まち自身が統一されているし、例えば家の玄関の前に素朴な草が植わっているわけです。そのへんの野に生えているようなススキとかが植わっていて、それがほとんどの家で統一されていたりします。そこの住民が、まちを意識している。自分だけの建物だけでなく、まちも意識しているというのが、すごく分かりました。
近頃では、長屋の再生ショップをやりました。長屋の再生にはお金がかかりまして、賃貸で例えば20坪の長屋を貸すのと、20坪のマンションを貸すのとでは、長屋のほうがお金がかかるわけですね。そういう意味で、我々は自分でつくるということを進めています。『惣(そう)』というのは2軒の長屋を5店の商業施設にテナントとして貸すわけですが、それももちろんセルフビルドでやっていただきました。店舗、商店街から路地に横に入る道なんですが、それをお店として再生して、まちの人にもそれを見ていただける地味な空間にしたい。これが住居ですと、なかなか見てもらえないですが、店舗なら自由に中まで入って頂ける。もちろん経済的な家賃が成り立つとか、工事費とか、いろいろな課題がありながらも、なんとかオープンしたというようなことなんですが。
今も第2弾として、もっと規模が大きくなって、松屋町からちょっと上がったところに大きなお屋敷を借りまして、それを複合商業施設にする計画があります。2月1日のオープンで、やっとテナントも決まって、またまた自分で自分の首を締めるというようなところです。
 ありがとうございます。からほり倶楽部には、賛同者が約300名いらっしゃるということですが、最初から300名おられるわけではないですね。どのようにしてお仲間をお集めになったのか、一言皆さんにご指導いただければと思うんですが。
六波羅  からほり倶楽部は組織としてはまだまだひよっ子で何も決まっていない、組織とも言えないグループです。まちアートなんかはスタッフは総勢で40人ぐらいでしたが、参加したい方がどんどん来られて、自分達でやっていくというような感じでやっています。つくった当時にホームページを見られて私やからほり倶楽部宛てにメールをいただいたり、一応賛同するみたいな感じの方を含めて300人。今ではそういう人を含めると500人ぐらいいるかも知れなません。特に会員制をとっているわけでもなく、サインしてもらった覚えもなく、という感じの人数ですね、これは。ちらっとホームページと言いましたが、僕たちのこの会はこれほどの短期間でいろんなことをやってきましたが、これにはインターネットの力というのがすごくありますね。連絡するのも簡単に同じものを配信できるし、例えば郵送にしても、ファクスなんかも300人に送ろうと思ったら何時間かかるやら。いまの時代、インターネットが、実はまちづくりのスピードを速めているような気がします。
 ありがとうございました。少し言わせていただくと、もし私の住んでいるまちとか、皆さんが住んでいるまちを何とか守るという形でホームページを立ち上げたときに、同じように300人500人集まるかどうかということなんですね。重要なのは1つはやはり“まちの魅力”ですね。空堀という、まちの魅力があったからこそ「からほり倶楽部」という名前に惹かれて沢山の方が来られるのではないかと思います。そこに残っている長屋とか町家の良さ、雰囲気の良さ、そこで商いをされている方の雰囲気もあるかも知れませんが、そういうまちの魅力がないと、いくらホームページをつくったとしてもこれほどの人は来てくれなかったのではないでしょうか。もう一つは、六波羅さんのうまい仕掛けがあったんだろうと思います。それだけの魅力をもった発信のメッセージとか、あるいは発信の仕方、そういうものがあったのではないかなと思います。ビジョンがないと、インターネットも単なる道具に終ってしまうのではないかと。
それでは2順目ですが、土居さんが最初ちらっと「商店街はほんまにいらんのですか?」という話をされていました。そこから始めていただきたいとおもいます。よろしくお願いします。
土居  いま六波羅さんの話を聞いていたら、商店街にとってはスーパーやコンビニが脅威だったのが、今度は空堀の長屋が脅威に思えるようになってきました。あちこちで六波羅さんたちのような活動をやられたら大変やな、と危機感を感じていますが、私は商店街とかそういうまちが大事だということを、いつも多くの人に力説しています。こないだ実は、『門前町サミット』というのをやりました。天神橋筋というのはご存じのように天神さんがテーマですね。天神さんの菅原道真公がお亡くなりになって1100年になるんです、今年。お亡くなりになって神様になられてまず北野天満宮ができ、その次に大阪の天満宮ができた。その天満宮ができて1053年になる。天神さんが出来たときから天神祭という神事が始まっているわけです。そんな古いまちの原点というのは、そこに初めからアーケードやカラー舗装があったのかというと、そんなものありませんわね。何があったか、“人”があったんです。天神さんにお参りするというのは信仰であり、ある意味では当時のレジャーだったんです。お参りに来て、物の交換が始まって、そのうちに住まいが出来て、商売人が発展してくる。そして江戸時代になれば青物市場が天満橋と天神橋の間に来ますから、そこからもっともっと街は発展していく。そういう仕掛けのなかで、門前町というのは街の原点だと思ったんです。
そのまちの原点がしっかりしないと、日本中のまちが駄目になってしまうと思ったので、そういう方たちを集めてサミットをやりました。沢山の方に来て頂いて、いろんなことを提言しながら、「門前町を守りたい」、「風俗はもちろんのこと、変な店は入ってもらいたくない」、「景観は守りたい」とか、「歴史ある伝統文化を大切にしましょう」とか、そういうことを宣伝をしながら行政にそれをまた訴えていくという仕組み、同時に、“街商人(まちあきんど)”というのは私の造語なんですが、「街商人がしっかりせんとあきませんで」と。「それが大事なんですよ」と。大阪の歴史を振り返ってみても、大阪は例えば江戸時代に30万人ぐらいしか人口がいなくて、それで行政は何人いたかというとたった500人しかいない。みんな“民”の活力で大阪は生きている。逆に言えば、最近は“官”の活力が多すぎるんです。“民”がひそんでしまう。これは景気も悪いということもある気もしますが、大阪は基本的に“民”がしっかりしないと、まちができない。“民”がしっかりしないということは、“民”の意識もさることながら、商売が活性化しないと“民”の力は発揮できない。そういう意味では、我々は最近のスーパーのように、「自分とこだけ儲けたらいい」、「人のことは蹴散らかしてもいい」というのとは違うんですよ。農耕型だから、そこに住んでいる人が水をやって、そのまちを良くしたい、そのためには商売して儲けてそれを還元する。そういう仕組みがずっと江戸時代からあったものが、今変わりつつある。もったいないじゃないですか。
天神祭は、江戸時代になってものすごく賑やかになったんだそうです。太閤さんの時代に天神祭がまちの祭りになりました。天神さんは神事ですが、祭りにするのは町衆なんですね。その町衆が太閤さんとともに盛大に天神祭をやるようになったんです。徳川時代になって、太閤さんが死んでも、今度は太閤さんのほうが好きだから太閤さんの意向をもっと多くの人に知ってもらおうということで尚更大きくなった。そういう“民”のパワーがある。そのパワーが昭和20年を期して大阪のまち、天満のまちが完全になくなってしまいます。戦争で丸焼けになってしまったんです。そこへ新しい商人が、そのまちに来たんですね。昭和20年を期して昔の商人と新しい商人と、ほとんど入れ替わっていて、老舗なんて今数えるほどしかない。それでも、このまちに入って来たら、「天神祭は俺がせなあかん」という意識が芽生えてくる。それが、まちの匂いなんですよ、それがソフトなんです。そんなことから、まちが出来ているのに、最近はもう建物建てたらまちになっているとか、田圃の真ん中にスーパーが建っている。駐車場が出来たら何々タウンと名前がつく。全部ウソやと思っています。ウソの結果がいま現れているんです。
皆さん方、みんなが築いてきたまちが、特に駅前とかそういうところが全部崩壊してしまっている。そして郊外に人は住んでしまう。住ませた結果、ドーナツ現象があったりね。それから大阪の民がつくった川をみんな埋めて高速道路にしたり、住民はどんどん外へ行ってしまって、アクセスは全部大阪の梅田とか難波とか中心市街地に入ってしまう。いろんな悪条件の中で大阪のまちがどんどん駄目になったことが事実ある。それをもう一度取り戻したいという思いがある。そんなことをだんだん思うようになってきたのは、商店街をやりだしてやはり10年ぐらい経ってからです。初めは、わがまち商店街を大事にしたいなと。当時、天神橋筋商店街を通っていた人は8000人ぐらいですね。そんなある日に、コンサルの人が、「この商店街はもうあかんから車通したらどうや」と言ったんです。それに腹が立ってね。大阪人はだいたい反骨精神がある。「それならやってやろう」みたいなことで。
とにかく初めは商店街をよくしようという思いが、やっているうちにだんだん膨らんでくるんですね。商店街をよくしようというよりも、まちが良くならないと商店街は良くならないと。面を良くしないと、商店街という線も良くならないという思いにだんだんすり変わってきたわけです。そのすり変わり方がうまく行ったんですね。NHKの連続テレビ小説の『満天』は、ひっくり返したら『天満』となる。不思議ですね。NHKも知らなかった、なるほど言われたら『天満』やと。商店街にいっぱい人も来てますけども、そういうふうに認知されるところがうれしかった。そのことが遠回りに商店街を良くしていくことになるわけです。抽選のガラガラをやって「皆さん、当たりまっせ」だけでは商店街が良くなりはしない。そんなことだけをしていても商店街は活性化しない。それよりも、もっと違う視点でまちづくりを…“まちづくり”という言葉もあまり好きではない…“まち活かし”ですよ。まちをつくるなんてそんなことはできへん。まち活かしをすることによって商店街も活性化してくる。そのことが、六波羅さんも一緒やけど“まち思い”につながってくる。まち思いにつながっていることは、商売からちょっと離れてくる。商売から離れてくると、「本来の商売人が何しとんねん」と言われるようなものですが、僕はだいたい商売を好きではなかったし、下手やったですね。ところが商売は駄目ですが、結果的にはそのことが、まちおこしにつながってきた。そこに住んでいて、そのまちをもう一度元のまちにしたい。古いことを大事にしよう。“温故知新”という言葉があるが、“温故創新”ですよ。天神祭も大事にせなあかん。七夕祭も大事にせなあかん。大阪の天満は芸能の街だと言われていた、芸能も大事にしよう。古いことは大事にしますが、その古いものをどう新しいものとつないでいくか。どういうふうにしたら、まちが若者に耐えられるまちになるのか。そんなことも考えるようになりました。
だから、ある意味では遠回りをしているようでも、1周遅れのトップランナーというわけで、もう一度元に帰ってくるねんと。元に帰ってくるチャンスが、ひょっとしたら今かもわかれへん。この不況の時代にみんなが求めているのは、自分の心を求めているような気がするわけです。その心を求めている時代が、街商人が今まで過去の歴史をやってきたことが、そのまま再現されれば元のまちが蘇ると思う。そんな仕組みをもう1回取り戻す。そんなことに対する意識を、皆さん方が持っていただけばありがたいと思います。
もう1つ、小売・流通関係から言われていることを、皆さん方、あなた方が承知しないといけません。“消費者”でいる時間は、1日のうち何時間もない。一日中ものを買うてるわけやないんよ。皆さん方は大阪の市民であり府民であり、日本の民だと。その社会人を流通関係が“消費者”という切り口だけで束ねてしまう、これは間違っていると思います。商売人である我々、街商人は、皆さん方を消費者と思ったことはない。お互いに一社会人だと。その社会人の世間話のなかで最終的にはものを買うことにつながっていく。そういう仕組みになっている、まちの原点みたいなものを、もう一度ここでお互い思い直す。行政もそうですが、特に悪いのは企業、流通業界。このへんの思いをもっともっと意識改革をしないと。大変ですけどね。また後で話をしますけども。そういう思いがどこかで一つにならないと、日本の社会は良くならないと思っています。
 ありがとうございました。私事になりますが、私は自分もまちづくりを商売人さんと一緒にやっていますから、電気製品は近所の電器屋さんでしか買えないんです。いま土居さんがおっしゃったことは自分のこととして聞いていました。今、私の自宅ではエアコンが壊れかけていて、新しいエアコンを買わないといけないのですが、家内は「量販店で買おう」と言っているんです。でも、僕は「地元の電器屋で買わな、量販店で買ってるところを商店の人に見つかったら言われるで」という話してたんです。そういう“おたがいさま”の人間関係が大阪になくなってきたことと、なにか関係があるんじゃないかと思います。それでは六波羅さんお願いします。
六波羅  土居さんのお話を聞いていまして、非常に近い考えがあったなと思います。町人の自衛組織ですね、からほり倶楽部がそれをまず実践していこうと。またお金の話になりますが、補助金等も行政から頂かないということでやっております。このまちアートは、実は、お手元にお配りしましたのリーフレットの後ろにスポンサーが載っているんですが、全てが会社や個人企業や個人というところからお金を頂いています。それも町人、大阪は元々町人のまちですから…徳川時代から町民が自治組織をやっていたらしいです。それで、からほり倶楽部が長屋再生複合ショップをやった店の名前が「惣」ということになっております。
まちの話なんですが、駅前には、どこの駅でも、たいがいバスターミナルがあって、ビルがどんどんと建っていて、今ですと三井住友銀行があってUFJ銀行があってマクドナルドがあって、最近ならスターバックスがあって、サラ金があると。たいがいのまちがそうなんです。空堀には地下鉄の駅がありますが、ちゃんと個性を持っている。本来はどこのまちでも個性があったはずなんです。僕は、ほかの駅前みたいになって欲しくないと思いました。からほり倶楽部が何を目指しているかというと、どういうまちにしたいのかを、まちの人に問いただすということをやってます。僕たちが「このまちをどうしたい、ああしたい」というのは、僕らは昔から空堀に住む人達からすれば外の組織やからね。外の者が勝手に空堀に、「ああせい、こうせい」、「ああしたい、こうしたい」という訳にはいかない。まちの人に、空堀がどうなってほしいかというのを、声を大きくして聞きたいというところがありました。今もその姿勢は変わっていません。ただ、変わってきたことと言えば、ほとんど外の市民団体だったからほり倶楽部が、今では結構地元の方が入ってきたし、からほり倶楽部の人間が空堀に移り住んだこともあって、空堀の人が増えてきたということです。
 ありがとうございます。私も建築系の出身で、六波羅さんと同じ同業者の方々とのお付き合いもあるんですが、そうした中で六波羅さんは、ちょっと建築家の中で8割を占める人達とは違うのかなと思っています。何が違うかというと、着々と実績を示していってますよね。長屋を改造したり、あるいは人を連れて来たり、これがやはりそこの人間に信頼される一番のポイントではないかと思います。「あいつら口だけで何をひまなやつ」と言われてしまうところだけれど、1つ1つモデルを見せているというのがすごいなという気がします。
もう1つは、私も元々建築ですからこうなるかのかも知れないのですが、建築に携わっている人の多くは、まちの将来について勝手に絵を描いてしまうんです。「こんなまち、どうですか」という形で示してしまう。さっきおっしゃったように、まず、まちの人に話を聞いて、それに「どないですねん」という話を付け加えていく、というのがまちづくりをうまく回していく秘訣かなと思いながら聞かせていただいておりました。そういう意味で、たぶんまちづくりのリーダーさんも、あまり自分の思いを出して「こんなんどうですか」と言ったら「お前勝手に言うてるだけやないか」と言われかねないのかなという気がします。まちづくりを引っぱっていらっしゃる方たちは、まずは皆の話を聞いて、それからそれに自分の話を重ねていくということが大切ではないかと。「まずはどんなまちにしたいのか」ということを聞くという話かな、と思いました。
さて、今回の車座討論会は、せっかくこれだけ少人数でやっているんですから、ただ、お二人のお話を聞いているだけでは面白味がありません。これから30分程度は、皆さんとお二人との掛け合いをしてみたいと思います。何かお二人に聞いてみたいこと、言ってみたいことがありましたら、お伺いしたいと思いますが、いかがでしょうか。
   
質問@  いわゆる“ハコモノ”に対する考え方、“ハコモノ”をつくるに当たっての考え方を変えてきた中での苦労や、今日の形に至るまでの対応などについて、もう少しお聞かせいただきたいと思います。
土居  20年位前かな、商店街で再開発をしようとして、そのときに私は大失敗をしまして、実は裁判沙汰の被告になったことがあるんです。当時、悪徳不動産業の人たちに5000万円位要求されて、最終的には示談で50万円ぐらいで済んだというアホみたいな話でね。その中で感じたことは、やはり商店街は一国一城の主の集まりで組織が出来ている。組織であって組織でないわけです。デベロッパーがいて、テナントを入れて、休日はいついつ、営業時間はどうとか、そんなことを決められる組織ではないんです。今でもそう感じます、組織であって組織ではないと。「勝手に誰かが何をしようと関係あらへん」、「商店会費は一切払わへん」、「アーケード代もいらん」とか言われたら、それまで。そんなことを聞いたら仕事が前へいかへんわけ。それをどういかせるかというのは、やはり根回しも必要でしょうし、いろんな合意も必要だろうと思いますし、いろんな人の話を聞いて、やっていったらいいんです。ところが人の話が全部いいとは限らない、変な話もいっぱいあるわけです。その見極めというのはリーダーがやらないかん。実は商店街の会長さんの仕事は猛獣使いより難しいと言われているぐらい大変なんですが、リーダーの役割とは、それくらい重くて大きいものなんです。それでも、ここまでなんとか私がやって来れたのは、挫折もいっぱいありましたが、自分の信念を変えなかったからですね。「このまちは、こういう歴史とこういう存在感のある大阪の中で、ある意味では重要なまちだ」と。その重要なまちを、このまま衰退させてしまって商店街がなくなってしまうことになったら、大阪のまちの財産がなくなってしまうと思うんです。これは大阪らしさの根元みたいに思っています。大阪弁も生きているし人情もあるし、私は、『街商人の3ケ条』として、“人情があって信情がある”、“自分の思いがある”、“商売は繁盛せないかん”、ということを言っています。その3つを大事にして行くことで“街商人”は成り立っているんですが、最近バランスがちょっと崩れかかっているように思います。
ハコ自身という、改めて商店街を再生化をするために何々しなければいけないという理屈は何もなくなっている。どれだけ皆さん方が、“まち意識”を持ってもらえるかというところへんが、一番大事かなと。まち意識を皆が持ってもらえたら、何も言うことない。商店街は商店街のしがらみとか煩わしさを言うてくださいと言ってます。でも、例えば商店街の組合員180人がいて、こっち向いているのは10人ぐらい。ひょっとしたら全部敵かもわからん。何が敵を味方にしているかと言えば、結果を出すことしかないわけです。25年やっていて、勲章もらいたいためにやってると思われたくないから、とりあえず、まちを良くしていってその結果を出す。人通り8000人が25000人になったら、それは結果が出ているということですよと。空店舗が全部なくなって、「空き店舗ありませんか」と探しにきはる人が多くなってきた。そういう結果を出せたことが、敵も味方にできる一つのチャンスやったんですね。
本当に商店街のリーダーというのは、まちづくりのリーダーもそうだと思いますが、ある意味では孤独です。孤独感を味わいながら、何人かがそれをバックアップしてくれる、その後押しを心の支えにして何とか生きてきた。しかもお金もそんなに無茶苦茶使わずに。まあ私どもの場合は商店街にいっぱいいろんな助成金がありますから、その助成金を出来るだけうまく活用する。うまく活用するというのは、助成金が100万円あれば300万円ぐらいの効果にして返すというその気持ちが必要なんですね。100万円がゼロになってしまったら何にもならない。せっかく皆さん方の税金を使わせてもらっているのだから、100万円使ったら300万円になって、まちが良くなった、大阪の財産が増えたんや、そのことであれば僕はいいと思っているから、そんなことでやってきた。その結果が良かったということだと思います。
もう1つは、やっていることがホンマモンであること。「なんかあいつらは商売のために、自分の営業、自分が儲かるためにだけやっているのではないか」というふうに捉えられると、やはりそうならないと思う。「商売をほったらかしてでも俺はこのまちを良くする」と。そのホンマモンがマスコミの皆さん方にも何かを与える。行政の皆さん方も「それなら何とかしたろか」と思ってくれる。その結果、お蔭さんで私が成り立っているし、商店街天神橋筋も成り立っていると。そんなふうになったことが良かったのかなと。これぐらいのことでいいですか。
 ありがとうございました。もう1つ私も言わせていただくと、「ハコが出来たら変わった」とか、「アーケードがきれいになったら変わった」とか、それはウソですので気をつけてください。外見変わっても中身は何も変わっていないということに、多くの人が気付くことが大切ではないかと思います。実はハコモノだけではなく、イベントも下手をするとそういう危険性があるんです。イベントが成功すると、良かったと充実感がありますが、本当のところはイベントをやるのが目的ではなくて、それをきっかけにまちづくりをするはずなんですよね。それを間違ってしまうと、充実感だけで終ってしまって、「なんぼイベント打っても変わらないやないか」みたいな話になるわけでね。まちづくりをやる人間は、まちを良くするんだということを、常に自分で問い続けていくことが必要だと思っています。
ほかに、どなたかご発言ございませんか。
   
質問A  まちの中には、いろいろなお考えの方いらっしゃいますよね。その方々の意見や提案を、どういうふうにして吸い上げ、それらについて話し合う機会をどのようにセットし、また、そこから生じる成果や蓄積を今後どう生かしていくかということなどを、どのように調整なさっているのでしょうか。
 からほり倶楽部流の事例をちょっと教えていただければと思います。
六波羅  とりあえず聞くしかないですね。いろんな意見の方がおられます。今日皆さんにお配りしている地図は、まちアートのためにつくったんですが、「その表記の仕方が気に入らない」と電話などで苦情を承ったりすると、そう言われているのだから、とりあえず誰かが謝りに行くんですね。とりあえず敵をつくらない。で、間違ったら何らかの対応が必要となってくる。「まちアートの中でこれをやろう」と言うと、その方が代表をやるんですが、その代表の下に、例えば広報係とか、アーティスト係、地元の場所を押さえる係とかがあるわけです。まず、どこかの係で苦情を受け、そこから代表まで行って、最後に私、私まで来ることはあまりないけど、直接僕のところに来られる方も沢山おられますね。とりあえず謝ってますね、今は。一度、まちアートを中央区の区報で載せましたが、記事の表示の仕方とか、「もうちょっと載せてくれ」、「なんでうちが載ってへんねん」など、いろんな苦情がきましたが、とりあえず謝りました。
 ありがとうございました。私も市民としてもまちづくりをやっているし、言ってくる人はいっぱいいるんですよ。六波羅さんは、“苦情などを言ってくる人”と“やりたいことがあって自ら動く人”とのギャップについてお話になったんではないかと思うのですが、“動く人”を自分の仲間にどれだけ引き込んでいるかということが、そのギャップを埋めるときの手かなと思います。そういう時に、ホームページというのが、案外、最近力を発揮するかと思っています。
私たちのグループは、いま茨木で3ヶ月に1度お金を出し合ってCATVの15分の情報番組をつくっています。そこにはいろんなスタッフがいます。スタッフの募集というのを我々のホームページに載せていたのですが、この前、大学3年の女性の方二人がふらりと私どものところに来られたんです。「アナウンサー志望なので、レポーターとして番組で使ってもらえないか」と言ってくるんですよ。何の面識もない人ですが、たまたま茨木に住んでいて、我々のホームページを見て飛び込んでこられた。そういう意味では、ホームページって案外すごいな、という気が個人的にはしています。土居さんのところで、言って来られる人と動く人と、つなぎ方のようなのがありましたら。
土居  言うてきはる人はあまり気にしないことですね。出来ないことは出来ない、出来ることは出来る、自分の思いに合うことならやる、信念を変えない。その信念が変わらないから、25年やってきたことに皆がそれに対しては異論を唱えている人は少ないと思う。
例えば、天神橋筋3丁目商店街のアーケードには、内側に鳥居がくっついているんですが、これを実現しようとした当初は、なかなか役所の許可をもらえませんでした。「アーケードというのは雨よけ日よけのためであるので、そんなものつけるのは一切あかん」というのが行政の理屈だったんですが、我々からすれば、アーケードやカラー舗装は雨避けのためにあるのではなく、街をイメージするためにあるんです。ここへ来たら天神さんが近いなあ、これは何か古い街やな、そういうことを想像させるためにアーケードはあるんです。一番大事なハードなんです。いろんなことがありましたが、半年ぐらいかかってようやく建設の許可を頂きました。そのことが結果的にはすごいパワーになったんですね。何かの機会があって天神橋筋3丁目商店街が映ると、天神さんの鳥居のアーケード、日本中にそのことが知られる。
そういう型破りな発想、僕には当たり前の発想ですが、そんなことをできる誰かがいる方が、まちは良くなってくる。アーケードをつくった担当委員長は本当に大変でしたよ、必死に動いてはりました。最も駄目なのは、アーケードをつくったら「俺の仕事は終った」として、理事長が他の人に変わる人がいるが、それは間違いです。アーケードをつくった生みの親は、それを育てんかい。そのためにはそれを使って何か面白いイベントを考える。そういう仕組みを仕掛けていく。その心が、そのつなぎ方が大事だと思います。全てがそうですが、いまおっしゃったようにイベントは却って駄目になることがあると。金を使ってしょうもない、わけの分からないイベントをするから。商店街が、天神橋筋がイベントをするのは絶対自分の思いのことしかやらない。そのことが、ベストではないにしても、よりベターだと思っています。自分のまちを一番知っているのは自分なんやから、このまちに合うイベントしかやらない。
もう一つは、何か物語がなければイベントはやりません。なぜそのイベントをここでやらなければいけないのかという理屈がなかったら、やらない。それでないと変なまち、それこそ秩序のないまちになってしまう。そういう思いをずっと貫いて、それに新しい発想をいろいろ付け加えていく。そういうことが大事だというふうに思います。
   
質問B  ホームページとかで情報の発信とかも大変大事だという話も伺ったんですが、それと同じぐらい大事な、事業やまちの魅力などを継承していくというための人間を、どういうふうに育てていけばよいか、ということについてお聞きしたいです。
私はいま神戸市民ですが、生まれは大阪なんですよ。また大阪に住んでみたいと思うんですが、博物館とか行って昔の大阪のことですとか、あと取り壊されたけど電気科学館とか、壊される前に見たかったなという思いが今でもありまして。住まいのミュージアムへ行ってみたんですが、大変いいミュージアムなんですが、あの中に町屋があるんです。こんなビルの屋上に町屋をつくるのなら、どこかに町屋が保存されてないものかという疑問も持っています。そこで、ちょっとした提案ですが、もし皆さんでお子さんがおられる方がいたら、こういう古い建物とか見て回られたらどうかと思うんですよ。本当に私も、いつか来た道というか、昔歩いた街をもう一度訪れてみたいなという思いがふつふつとしますので、そういったところから“まちの愛着”というものが生まれてくるのではないかと思うのです。そういった意味で、天神橋、空堀の魅力をどうやって伝えていくのかな、という点をちょっとお聞きしたいと思います。
土居  まち並み保存というのは大変難しいのでね。うちの商店街は昭和20年に何もなくなって、再興しているわけですから、それからの歴史というのはまだ50年ぐらい。そんななかで古いものを残せといっても無理な話なんですよ。天満のまちというのは商業だけでなく工業もいっぱいあったわけです。工業は全部大阪市内から追い出されて、その意味では、まち並み保存はもっと長い歴史でやらないと出来ない仕事なんですが、まだ私も若かったし、あまり何も言われない時代だから見過ごしがちになって、今になって勿体ないなと思います。
後継者の問題は、ほとんどの商店街は後継者難という声を聞くが、うちはまだ育っているんです。彼らは30人ぐらいで月に1回必ずコミュニケーション、というよりノミニケーションをやっている。理事長は必ず体を悪くする。そのくらい呑まないと話ができない、そういう仕組みですから。今の若い人たちも夜の9時頃から12時1時まで飲みながら喋っている、そういう機会は絶えずやっております。彼らが今の天神祭を支えているわけで、そういう意味では、まだ育っているほうなんですね。ただ、残念なのは、商売がこれだけ駄目ですから、商店街の個店が全部駄目なんです。従業員のリストラをしてしまうから、親子で働くか夫婦で働くかしないと喰っていけない。そんな瀬戸際まで追い詰められている、何が悪いのかわかれへんけど、その追い詰められている窮状の中でいますから、あまりあれもこれもは無理なんですね。それを超えたほかの商店街の仕事もやれやれいわれても、なかなか出来ない。そのことは、今はちょっと難しいかなと。だけど、その思いが伝わっていくことは有り難いです。
今日は時間がないのであまり話できませんが、まちの活性は、実は皆さん方が握っていらっしゃる。商売人だけで商店街を、まちの活性をしようとしても無理なんです。はっきり断言できます。それだけ意識があったら、京都、大阪はもっと盛んになってますわ。それをカバーしてくれはるのは実は皆さん方。私はNPOをやってます。5年前はNPOではなくて任意の団体としてね、私たち商店街の人間が手を挙げて「この指とまれ」としたわけです。天満のまちが好きやねんという人が大事です、と。天満のまちが好きやねんという人が一緒になって、私たちの街を応援してくれませんか、と。その背景には、世の中間違いが多すぎるから、寺町の“町”と商店街の“街”をつけて大阪人のしゃれで“町街トラスト”としようと。それが非常に成功してきました。
環境の仕事もいっぱい、琵琶湖の水を良くする運動もいまやっています。私の名刺は葦(ヨシ)で出来てます。そんな仕組みをいっぱいやっている。8日には、大阪から出発して滋賀県庁まで歩いてくれます。それを我々がサポートするとか。
その次は、観光にまつわる仕事をやっています。大阪の都市は、観光ということを騒がれたのはまだ日が浅い、14年ぐらい。ようやく今、観光をどうしたらいいかと、それにも参画したりいろいろ、商都というものを観光する、そんなことも踏まえて、違う形で大阪のまちが良くなってきたらと思います。
地場産業というのは大事ですね。大阪の天満というのは、いろんな地場産業が昔はあったんです。今度売り出そうと思っているのは、大阪がガラス発祥の地だと。“切子”というのをご存じだと思いますが、色のついたガラスにいろんなカッティングしたもの、切子ガラス発祥の地だから、それを今度育てようと思っている。お酒は天満が水どころで良かったんです。そんなふうに考えてみると、天満の名物はいっぱいある。いま守口大根と騒いでいる、なにわの屋台を騒いでいる、あちこちになにわ屋台がある。大阪の守口大根のルーツは“天満宮前大根”と言うんです。今、その大根を育てていて、もうちょっとしたら1mぐらいになるんですが、そんな企画をやるとかね。
それを今度は現代版にして、天満大根だけが問題ではなくて、それを皆さんにいいものをうまく食べてもらおう、食文化の大阪ですから、どうしたらうまく食べてくれるか、どうしたら正しく食事しているか、その背景にはどうしたらいいか、団らんで飯を食ってくれるかなと。外食産業で一人ぼそぼそ物も言わず食べているより、みんなで一緒に食うたほうがええやろ。そんな仕掛けをしていくとかね。そんなことが、これからの世直しだという思いでやってます。
 六波羅さんは先ほどのご質問のまさしくそれを実践されていると思いますが、若い人に魅力を伝えていくという秘訣、どうでしょうか。
六波羅  人の話が出たんで、人の話をしようかなと思います。僕らもやはりお酒なんですね。若手で飲んでみんなで会合していて、これやったほうがいいな、これをやりたいなという話になって、その勢いでやってしまうというのが多いですね。最初始めたときに、いろんな人が来てくださいました。そんなボランティアの皆さんと試行錯誤的なことで一緒にやっていきたいと思って。ふたを明けてみると、商売に結びつけようと思っている人たちがどんどん抜けていく。純粋にこの空堀が好きだという、何か自分でやってみたいというような方が残っていますね。今のメンバーはほとんどそうですし、これだけ無償というかボランティアをやりたいという方が沢山いるということに感動しましたし、大阪も捨てたものやないなと思っています。
ボランティアの話をしますと、いま琵琶湖のヨシの話が出ましたが、浄化されて琵琶湖もきれいになると。実際にヨシの需要が少なくて、刈り入れ作業はほとんどなくなってきているわけです。テレビでも毎年ニュースでもやってましてね。そのボランティアには、我が家に今の子供が生まれるまで、毎年行っていたんですね。ヨシというのは背が高いから、回りを見渡すと自然のものしか目に入らない。ヨシがあって、あとは山と空ですね。お昼になると琵琶湖の水を使ったビールが出てくるわけですよ。それももちろん協力で、もってきてくださるんですね。おにぎりと味噌汁などが出てくる。本当に楽しかったですね。“何かをしてあげた”というのではなく、“自分が本当に楽しめること”がボランティアだと思います。今のからほり倶楽部のメンバーというのは、それが出来ていると思います。だから、みんなでいても楽しいです。そういうところから、今うまくいっているのかなという気がします。
 ありがとうございます。私どもも同じようなことを感じるんですが、まちづくりしませんかと言って、最初に「よっしゃ、ええことやないか」と寄ってくる人は曲者が多いですね。最初に喧嘩腰で「なんでそんなことせなあかんねん」と言っている人ほど、どんどんのめり込んで、後は強い味方になっている場合というのがありますので、皆さんそのあたりは気をつけていただきたいなと思います。
   
質問C  私は、“人を受け入れやすいまちづくり”ということで、環境問題に関する活動をしていまして、最近NPOを立ち上げました。今年、大阪の水辺を考えよう、子供達に大阪の水をもっと知ってもらいたいなど、多くの人に関心を持っていただくためのイベントを開催しました。その時、イベントをやるための会場を必要になったのですが、会場を借りに役所に行っても「前例がない」「実績がない」ということで、なかなか場所を借りることができませんでした。私どもは8月にNPOを立ち上げたところですから、実績も前例もないわけです。そこで、次に何をしたかというと、そのまちにある町会の組織の方を通じて大阪市に使用許可をもらって、そういうことでお願いにあがったんですが、それでもなかなかOK出してくれなかったんです。「補助金を目的に来てるのとちゃうか」などということから行政からは前例・実績をいつも問われるのですが、そういう点はどうクリアされてきたのですか。
六波羅  これについても耐えないとしようがないです、最初はね。去年、まちアートやるときには、行政とかに、「広報してください」と頼みに行ったが、「一般市民団体のこういうふうなイベントとかは載せることが出来ません」と簡単に断られました。1年ほど実績を積んできて、今年はどうなったというと、今度は向こうから言うてきたんです、「広報紙に載せるから」と。市の方も、観光経済とか地図をつくるのに協力してくれとか、そういうふうな要請もあって、こういった地図“からほりマップ”を他の印刷物を刷るついでにつくってもらったということもあります。最初は耐えるしかなかったかなと。今はほとんどこちらからお願いすることはしていません。今年の場合もそれなりに同じような苦労はあったんですが、まちアートについては、「ここを貸すよ」とか「あそこも貸したると言うてるで」といった話が多かったですね。
土居  やはり人間関係をつくること、そのためには命を張っていって成果を自分たちで挙げていくこと、そのことがいろんな人たちに評価されること。それをまずやらないと、初めからそんなこと言うても無理ですわ。行政というのはそんなものです。新しいことを相手の言いなりでやられたら敵わんのです。そうならないような人間関係を、行政の人たちもいかにしてつくっていくかは大事だと思います。
今年1年かけてやったことが1つあるんですが、ストリートミュージシャンというのはご存じでしょうか。歩道橋の上とかで音楽を勝手にやっている若者達のことですが、その彼らが警察に全部排除されてしもた。「お前ら、こんなとこでやったら道交法に引っかかる」と。それを見ていたら、なんかちょっと違うで、と思ったんです。違うと思うところがアホやねんね。こうしたストリートミュージシャンの中にもいい奴いっぱいおるやないか、と。それを何とか育てる方法はないかな、と一生懸命考えた。で、ある音楽家と話をして、彼と二人三脚で“ストリートミュージシャンを商店街で育てる”ということをやったわけ。目茶苦茶人が来ましたよ。会場を3ヶ所ぐらいに分けて、京橋は喧しいのを、そんなこと言うたら怒られるけど、「騒々しいのはあそこの広場に大きなのあるやん、あれを借りて天下晴れてそこでやってくれ」。商店街の中ではないけど街の真ん中や。「アメリカ村の3階の上に広場あいているから、そこでやってみてや」、「静かなアコースティックなやつは天神橋筋でやってくれ」というようなことで。それでも何百組と。その代わり、決勝大会はサンケイホールでやって、残ったやつはキングレコードの専属になった。19歳の女の子がギター1本で優勝しましたよ。その彼女はこれからCDを発売する。「ものになるならないに関わらず、お返しは商店街にしてや」と。「何かイベントがあったら商店街に来て歌いいや」と。それがお返しやで、というふうにしてるわけです。
それからもう一つは、商店街である以上は、隣のおっちゃんやおばちゃんに迷惑をかけてはいかん。隣で果物を売ってるのに喧しい音楽をやられたら、怒りはる。そんなことは同じ社会に生きる人間として当たり前のことだから、そのぐらいの社会的なルールを守るのは社会人の仕事やないかという教育的な視点でものを言う。そのことに同調してくれた人が、「初めてやれるから」ということでルールを守りながらやっています。
そんな、自分たちで出来る、ある意味では社会還元、公共にも役立つような仕掛けをしていく、そのことが認められて来たら、自然にそういう声はかかってくると思う。それをマスコミさんにうまくとらまえてもらったら、なお一層効果があると思います。そんなことでやってもらいたい。
 ありがとうございました。やはり町会でもそうですが、知らない人には貸しませんわね。人間関係ができたら、「ええよ」となる。最近は向こうから言ってくださるというのは、それだけ人間関係ができたからではないかと思います。私はいつも“ギブ・アンド・テイク”ということを言うんですけど、ギブ・アンド・テイクというのは順番が、“ギブ”して“テイク”ですよね。だから自分が何かやりたいとか、やって欲しかったら、その分まず他の人に“ギブ”するということが重要ではないかという気はします。さて、もうそろそろ終わりの時間になってきましたので、最後に土居さんと六波羅さんに、皆さんに対するメッセージがあれば一言ずつ言って頂ければと思っております。
六波羅  小さな成功から。なんしか成功を積み重ねる。それがきっかけになって活動が事実になってくるわけですね。僕はこれがうまく行ったかなと思っています。これが全てではないかもしれないし、ほかにやり方もあると思いますが、私たちは小さな成功が大きな成功に結びついたと思っています。それと、あとは楽しむことですね。楽しむ、今を楽しむ、酒を飲みながら楽しむ、それが一番いいかなと思っています。
土居  “まちは一日にしてならず”ですから。今まで先祖が築いてきたものが、昭和30年ぐらいからどんどん日本の社会が崩壊してきて、いま社会現象としていろんな犯罪がはびこっている。そのことはここで日本人がぜんぶ反省せなあかんと思います。流通も悪いし、行政も悪いし、企業も悪いし、社会人としての皆さん方にもいろいろと問題があったような気がする。その点をお互いが反省する、いまがチャンスだと思いますから。そのためにどれだけホンマモノが出てくるか。そのホンマモノがどれだけ長続きするかということ。そんなことが大事ですし、まちづくりというのは、難しいことを並べて論理を並べてやるものではないと思っています。いかに自分が楽しめるか、いかに喜びを感じるか。自分が喜ぶことは必ず相手も喜んでくれると思います。
もう一つは、どれだけ感動を与えることができるか。そういった仕掛けが大事かなと思います。自らがやらないと。“あきんど”というのは“飽きない人”…“ものに飽きない人”、“自分に飽きないこと”が大事です。どれだけ自分が続けてやることができるか、情熱を燃やすことができるか。そのことが、必ずどこかで陽の目を見る結果につながると、思っております。頑張っていただきますように。
 ありがとうございます。まちづくりを語る方は必ず何かキャッチフレーズ、“自分に飽きないこと”といったことをおっしゃっていただけますね。
最後に、私から3点ほど皆さんに今日の話も踏まえながらお話を重ねていきたいと思います。キャッチフレーズ風に言わせていただくと、“責任転換しないまちづくり”。「うちの街がこんなになってしまったのは役所のせいだ」とか、「うちの自治会は会長が悪いから」とか、いろんな責任転換をしてしまうんですね。「商店街が魅力のないのは商売人が悪いからや」とか、そういうをやめましょうということです。つまり、いろんなことを並べ立てる暇があれば、先ほど六波羅さんがおっしゃったように、一つ一つ自分が出来るものを考えて、それを皆が持ち寄って積み上げていった方が早いよということなんですね。この前、ある偉い先生に、「まちづくりとか社会を変えるとかあんた言うけれども、難しいで」と言われました。僕はその先生に「99%出来ないかも知れないが、でも1%可能性があるのならその1%にかけたいんです」と言い返しました。挫折があっても、また新しい可能性を見つけていくということが、まちづくりを長続きさせるための秘訣ではないかと思います。
2点目は、“立場の違う人と付き合おう”ということだと思います。同じ考え、同じ立場の人と付き合うのは簡単ですが、それだけではなくて、それ以上に立場の違う人と付き合うということですね。それは3つほど役に立つことがあると思います。1つはどんなグループでもだいたい守りの人が多いですから、「こんなことやろうよ」と言うと、だいたい浮いてしまう。これはグループや組織の常だと思います。グループの中には敵がいっぱいいるけれども、実は外に味方がいるんですね。外の味方と一緒に付き合ったら、そのうち中も変えられる力になってくると思います。商売人さんは商売人以外の住民さんと、住民さんは商業者さんとか、六波羅さんのような事業をやってらっしゃる方と付き合っていくといいんじゃないかと思います。
次にいいのは、土居さんもおっしゃいましたが、同じ立場の人でやっているとナアナアで済むことが、違う立場の人が入るとそれでは済まなくなるんですね。いろんな立場の方は違う雰囲気を持っていたり、違う言葉づかいをして、違う考え方を持ってますから、仲間同士ならスッと行くような話でも、違う人が入ったらそうはいかない。それは自分たちをハッとさせるわけですね。仲間内ではこうだけれど、社会は違うのだということに気がつくという意味でも、周りの人を取り込むということは大事ではないかと思う。
3つ目は、先ほどのからほり倶楽部の典型例で、いろんな人が入ってくると当然いろんな技術や能力を持った人が入ってくるということですから、そういうことでつながって行けば、いろんなことが出来やすくなると思うんですね。いろんな技術や能力を持った人を自分たちの仲間に引き込むためにも、いろんな所に触手を伸ばすということが大切ではないかと思います。
3点目ですが、私は“まちづくりはカラオケのようなものだ”と思っています。どういうことかと言うと、先ほど六波羅さんも土居さんも同じことをおっしゃったのは、“金は自分らで出す”、“人の金を頼りにしない”ということ。歌手は金とって歌を聞かせるが、カラオケは自分で金を払って人に聞いてもらっているわけですね。これだと思うんです。つまり、自分の好きなことなら身銭切って当たり前ではないかという感覚。「金がないから出来ない」という話が出ますが、「金がなかったら自分たちで出そうよ」というような形になれないかなと思います。
例えば、私たちはいま茨木でケーブルテレビの番組をつくっています。番組枠の借り上げ料も含めて約20万円かかります。それを年4回ですから80万かかる。全部手弁当です。まちの紹介の番組をつくるのに、3ヶ月に1回5千円払ってつくっているわけですね。5千円と言えばちょっと飲みにいったら使いますよね。そういう感覚でみなお金を出し合ってまちづくりをやっているということですね。
もう一つ具体的な事例として、箕面に“えんだいや”という市民酒場があります。これは「みんなが集まる酒場をつくりたい」と、どなたかがおっしゃったんですね。「それなら自分達で金を出してやろうやないか」ということで、一口10万円募って、寄付ではなく出資金を集めました。出資金ですから店が順調にいけば返ってくるんですけどね。店舗が見つかったが、内装費も含めて300万円いることになった。30口ですね。どれだけ集まるかと思ったら、90口、900万円集まりました。儲かったら返すけども、儲かりません。でも潰れもしません。潰れたら10万円返ってこないから、「そろそろ景気悪いで潰れそうやで、みんな飲みに行こうやないか」と、マッチポンプになってるわけですね。一番確実なリスク回避ではないかと思っています。だから、先ほどお二人がおっしゃったように、金を出したら責任も伴うし、それなりに行動するというのは、いつもまちづくりで感じているところです。
もう一言いっておきますと、さきほどのCATVの場合は茨木市が「そんなええことやってるから」と金をつけてくれるようになりました。さっきのお話と一緒です。勝手に自分らが手弁当でやっていたら、市役所から歩み寄ってきて、「金をつけたろうやないか」と。でもそれで、自分ら出さなくてもいいとは思ってません。20万で出来るものが市役所から20万出て、「計40万円分の予算でもっといい番組がつくれるといいな」という話をしています。
まだまだこのお二人からは聞き出す話もいっぱいあると思いますので、今度は皆さん方が自分達でお二人を呼んでお話を伺っていただきたいなと思っております。それでは、時間も来ましたので、情報提供していただいたお二人にお礼の拍手を贈りたいと思います。どうもありがとうございました。
   
司会  土居さん、六波羅さん、久先生、どうもありがとうございました。情報が沢山あるなかで、かなり踏み込んだお話をいただきました。まだまだ聞き足りないといったようなこともあるかと思いますが、機会があれば、まちづくりの先輩方として、また皆さんの地域にお呼びいただく、あるいは是非とも空堀あるいは天神橋筋商店街へ行っていただき、買物をしたり、お話を聞いていただけたらなと思います。どうもありがとうございました。