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| 平成15年度 まちづくり講座(基礎コース) 第1回 基調講演 『住民主体のまちづくりのあり方』 |
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| 第1回講座の後半に、まちゼミのアドバイザーである、近畿大学の久隆浩助教授に基調講演をしていただきました。『住民主体のまちづくりのあり方』と題したこの講演では、 ● まちづくりにはハード、ソフト、コミュニティのいずれも必要で、これらがうまくつながることが重要です。 ● まちは生活の基盤なので、生活のイメージを明確にすることが大切。そのためにも、生活からまちづくりを考えることは重要です。 ● 楽しく気軽にまちづくりを行なうきっかけとして、交流の場からはじめるまちづくりというものがあります。 ● 意思決定しないことによって気軽でフランクな意見交換が可能になります。厳格な意思決定をしなくとも活動が展開できることもたくさんあります。 など、日頃の生活や、人と人との交流から考えるまちづくりについて、お話くださいました。 |
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| ●講師プロフィール | ||||||||||
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| ●基調講演講演録 | ||||||||||
1.まちづくりって何だろう
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| 1.まちづくりって何だろう | ||||||||||
| 私は、もともとは都市計画の仕事をやっていました。 ハード面からのまちづくりなのですが、市民の受けがとても悪いと感じました。 現場へ行くと「私たちは幸せに暮らしているのに勝手にゴチャゴチャする」といって怒られる。幸せに暮らし続けるために都市計画が必要だと思ってやっているのに市民はそう思っていない。とても印象が悪いと感じ、どうしたらいいのかと悩みました。 しかし、偶然にも、初期段階から住民の方々と一緒にまちづくりのプランニングをする機会に恵まれました。それが十数年前のことで、それからずっと住民主体のまちづくりをやっています。 ハードのまちづくりだけがまちづくりではありません。住民の皆さんと話していると、教育・福祉・環境などいろいろな問題が出てきます。それを総合的に考えないとまちはよくなっていかない。たとえ建物がきれいになったり、道路が広がったりしても、それだけではそこに住んでいる人々は幸せにはならない。お歳をめした方には福祉サービスが必要だし、商売をしている人には儲からないと豊かな生活はできない。いろんなことをソフトもハードも含めて総合的に考えていかないとまちづくりはできないと考えるようになりました。しかし、それだけでもいけないと気が付いてきました。みんなで、ワイワイ、ガヤガヤと話をしてまちづくりの計画や構想をつくっていくのですが、その根底、前提に、みなさん方同士に信頼関係が必要であることに気づいたのです。 これだけ多様化している時代ですから、皆さん方のまちに対する思いが違う。いいまちってどんなまちですかと聞いてもいいまちのイメージが全然違う。商売をなさっている方は、『人が集まってお金を落としてくれるまち』がいいまちだと思っている。しかし、サラリーマン世帯の人はあまり人に入ってきて欲しくない。静かで閑静なまちがいいと思っている。180度イメージが違う。そういう方々が一緒に話をするときに、人間関係ができていないと喧嘩になってしまいます。しっかりとした人間関係ができていると、少々表面上の喧嘩があってもすぐにみんなが打ち解けることができる。そうすると一番大切なのは、まちのコミュニティの問題ではないかということになります。私は、ここ数年間八尾市で町会活動の活性化のお手伝いをしております。こうした経緯で、私は、都市計画から総合的なまちづくり、さらには根底にあるコミュニティづくりを地域の方や行政の方と一緒にやっていくことになりました。コミュニティづくりを進めていってこそ、まちづくりが実現していくのだと思います。今日はその話をさせていただきたいと思っております。 さて、改めて「まちづくりって何だろう」と考えてみたいと思います。 講座に先立ちみなさんに書いていただいた自己紹介シートのなかで「まちづくり講座にお越しの理由は?」というところを重点的に読ませていただきました。ここに皆さんが思い描いているまち、あるいはまちづくりのイメージが書かれていると思います。先ほどお話させていただいたように、いろんなイメージでまちづくりを捉えていらっしゃるということがわかりました。ハードなまちづくりを中心に考えている方もいるし、それだけではなく福祉や教育、環境問題も含めて考えている方もいる。あるいは地域の活性化、商業のまちづくりに関心のある方もいる。コミュニティづくりやお互いの支えあい活動などもまちづくりだと考えている方もいました。 どれが正解というわけではなく、どれも正解なのです。これらが繋がっていったときこそ暮らしやすいまちが実現するわけです。そういう意味で、まちづくりとは私たちが日ごろ暮らしている生活の基盤づくりなのです。まちは生活の基盤です。私たちの一日の生活を振返ると、どこかのまちで過ごしています。働く場所であるまち、遊ぶまち、住まいのあるまち。どこかのまちで何かをして暮らしを成り立たせているわけです。そう言う意味でまちは生活の基盤なのだということを改めて考えると、まちづくりを考える前に私たちがどんな暮らしがしたいのかということを考えないといけないのだということに気が付きます。働くまちとしてはどんなまちが理想なのか、暮らす場所はどんなまちがいいのかを考える前に、働く姿、住む姿を考えていかないといけないと思います。 |
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| 2.生活からまちづくりを考える | ||||||||||
| 私は海沿いのまちで生まれました。そのまちは、20年程前からサーファーの人たちがやってくるようになり、喫茶店ができたり、サーフショップができたりしています。そこの経営者は海が好きなのでしょう。海で遊びたいから海のそばで生活をする。それだけでは飯は食えないから、喫茶店やペンション、サーフショップをしたりして生活費を稼ぐ。そうした方々は、まず海のそばで住みたいということからスタートするわけです。自分の趣味が大切なのです。そして最低限のご飯が食べられたらいいという発想なのです。その逆の方もいらっしゃいます。働くことが大好きで、働く場所としてのまちがとても大切だという人もいます。こういうことを一人一人が考えていくことがまちづくりのスタートになります。 そのことを私は「生活からまちづくりを考える」と申し上げています。「生活マスタープラン」を一人一人がつくる必要がある。違う言い方をすると、生活設計です。たとえば、20代の方が10年後30代になったときにはこんな暮らし方をしたい、40代では、60代ではと生活設計を立て、それを実現するためにはどのようなまちが必要なのかという順番で考えることが大切です。 さて、生活を考えるとはどのようなことかをもう少し考えてみましょう。ライフスタイル(生活様式)は、大きく二つのことで考えることができます。さきほど20代、30代の時と話しましたが、これはライフステージ、世代の問題です。同じ人間でも、20代のときの生活ぶりと30代40代のときの生活ぶりとは違いがある。ですから20年後の私、30年後の私を考えながら生活設計をしていく必要があると思います。もうひとつ、ライフシーン(生活風景)があります。働く、憩う、学ぶ、遊ぶ、交流する場面。これは先ほどの一生の暮らしを考えるということに対して、一日、一年の単位で自分はどんな暮らし方がしたいのかということを考えていくことになります。ライフステージとライフシーン、これで縦軸と横軸ができるから、20代の働き方、20代の学び方あるいは50代の働き方という風にそれぞれの世代の、それぞれの風景、暮らし方が明確になる。まず、これを一人一人が描くことが大切かと思います。 伊勢市で都市計画マスタープランをつくった時に、まちづくり人生ゲームという形でこうしたことをやられました。自分の人生をゲーム感覚で描いてみましょうというものです。人生には節目があります。たとえば中学校から高校に進学するときに、伊勢市内の高校に進学するか、市外にするか。大学もそうです。大学を出て就職するときも、伊勢に帰ってくるか違う土地で働くかということを聞きます。それから、結婚。どこに住みますか。40代の後半になりました。親の世話が必要になってきました。伊勢に帰りますか、どうしますか。いろんなことをひとつひとつゲーム感覚で考えます。最後は死。どこで葬式を挙げますか、どこの墓に入れて欲しいですか。なぜそのことがまちづくりマスタープランになるかというと、死んだときに市営斎場で葬式を挙げたいと思う人がたくさんいたら、立派な斎場をつくらなければいけない。自宅でと思うとそれなりでいいわけです。あるいは墓地もそうです。市内に埋めて欲しいとなると墓地整備が必要になってくる。こういう風に伊勢市ではまちづくりマスタープランをつくっています。 「います」というのがポイントです。いままでのマスタープランはたいていつくってしまって終りというのが普通だったのですが、伊勢市はつくり続けているのです。伊勢を10の地区に分けて、1年に1地区ずつワークショップ形式でしっかり考えていきます。10年経ったらもう一度もとの地区に戻ります。そうすると10年前の計画は状況や環境が変わってしまい、かなり古ぼけてしまっています。ですから11年目は最初からつくり直していくのです。こういう風にぐるぐる回っていくと、いつまでたっても終わらない。エンドレスな都市計画マスタープランづくりをやっているわけで、とても面白い試みだと思います。 生活から都市計画を考えることはとても大切だと思いますし、それがわかってくると今までの都市づくりのやり方とは変わってきます。今までの都市計画では、個別の要求が出てくることも少なくありませんでした。たとえば、図書館が欲しいという要求が出てきます。しかし、こうした要求の背景にはそれを望んでいる人の生活の姿があるのです。立派な図書館が欲しいというのは手段であって、その手前に、身近でたくさんの本が読みたいという生活像があるわけです。身近でたくさん本が読みたいから立派な図書館が欲しいと思っているわけですが、手段のほうが頭の中に浮かんで、これが欲しい、こうなったらいいという話になってしまいます。一歩下がって、それは自分のどういう生活像を実現するために言っているのかということになると話し合いが変わってきます。 具体的にどうしたらいいかというと、こんなモノが欲しい、こんなコトが欲しいということを考える人には、それがあるとどんな暮らしが実現できるのか、ということを考えてもらいます。そうするとその人の生活像が明らかになってきます。逆に、私はこんな暮らしがしたい、たとえば一生このまちで暮らしたいという人には、それを実現するためにはどんなものが必要になってきますかと聞いていく。そうするとみんなの考えていることのレベルがそろってきます。こんな暮らしがしたいというのが目標で、それを実現するために必要なものが方策・手段で、きれいに整理されてきます。まず、こういう作業をしていきましょうということを皆さんに呼びかけたいと思います。まちづくり構想というのは、まちづくりマスタープランにすべきではない、生活マスタープランを描くべきなんだと思います。道を広げたいとか公園をつくりたいとかごみごみした場所をきれいにしたいということを書くことがまちづくり構想だと思ってしまいがちですが、それは第2の問題であって、その前に私たちはこのまちでどんな暮らしがしたいのかということをしっかりみんなで議論して描いておく必要があるのです。 |
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| 3.交流の場からはじめるまちづくり | ||||||||||
| つぎに交流の場づくりについて考えてみたいと思います。交流の場とは何なのかということに入る前に、なぜ私がそのことに思い至ったのかということを話させていただきます。いろんなまちで皆さんとまちづくりの議論を交わしていくと、心に余裕がないことが多い。すぐに何とかしたいという思いなのです。たとえば商業のまちづくりをお手伝いするときに、ここ数年で店がつぶれるかもしれないのに、10年後どうしますかと聞かれても、そんな先の話をしたって、という事になる。余裕がなくなっているときにまちづくりをお手伝いすると、「何言ってるんや、おまえは」と怒られます。もっと時間や心に余裕のあるときにまちづくりをはじめると、違うまちづくりができるのではと感じるようになりました。 しかし、人間だれしも緊迫感があると一生懸命になるのですが、気軽にまちづくりをしませんかと言ってもなかなか参加してもらえません。しかし、まちづくりは癌と同じで、症状が出てきたときにはもう手遅れなのです。課題解決が差し迫るほど心に余裕がなくなり、話し合いもまとまらなくなります。だからまちづくりはたいへんになるのです。そして、そんなたいへんなことならば、ということでまちづくりをはじめる、参加するのに二の足を踏むという状態になってしまいます。どうしたら、まちづくりを気軽にはじめてもらえるのか、そして、より多くの人にまちづくりに参加してもらえるのか、とずっと思ってきました。そこから交流の場づくりというアイデアが出てきたのです。 いままでとは一味違うまちづくり。その手がかりのひとつは、まちとか将来の夢について語り合うことです。自分の10年後の夢を描く。こうなりたいとか、こうあって欲しいという自分の夢です。そういう風に夢を語るまちづくりも大事なのではないでしょうか。別の見方をすると、自分の描いた夢は実現しようとがんばります。たとえば皆さん、18歳の頃の自分を思い起こしてください。18歳の自分は今の年齢のときにどうありたいと思っていたでしょうか。いま、そうなっているでしょうか。なっていないとしても、どこかまではそうなりたいとがんばってきたのではないでしょうか。ここが大切なのです。役所や専門家はきれいな絵を描きます。でも、10年後にできるかはわからない。できなかったときに必ず責められます。責任をとれといわれます。責任転嫁ですよね。 いい絵を描いたら誰もがそうなるだろうと思っているだけなのです。そうではなく実現に向けて一緒にがんばって欲しいのです。みんなで夢を描いたら、みんながそれに向かってがんばっていける。そういうみんなでがんばれるまちづくりが大切であり、最初の段階から、みんなで夢を共有する、語り合うことができたらいい。最初はできるかどうかわからないが、こうなったらいいなというところから始めたら、もっと楽しく、気軽にまちづくりができるのではないかというのが私の思いでした。 次に 歴史/現在/未来ということを考えてみましょう。現在を知るためには歴史を知らなければならない。今、私がいるのは、このまちがあるのは、何百年、何千年という歴史が積み重なっているからです。歴史をちゃんと把握して、現在を見て、将来を考えないといけない。歴史を勉強することと、未来、将来を語り合うこと、両方、まちづくりには必要なのですが、どっちがわかりやすいかというと歴史を学ぶことです。解釈はいろいろありますけど、歴史的事実はひとつしかないのです。だから歴史を振返ると、思いにぶれがでないのです。しかし、将来や未来を考えるとみんな思いが違いますから、話がまとまらなくなる。歴史から入ると話がまとまりやすくなります。将来から入ると、あのひととは意見が違うからと言ってまちづくりが止まってしまいます。ですから、しばらくは歴史を勉強するというのが得策ではないかと思います。 町内でうるさいおじいさんがいて、この人が「YES」といわないとまちづくりが進まないというまちが少なからずあります。このおじいさんをうまく乗せるというためにも歴史から入るということが大切です。その長老は歴史もよく知っていらっしゃるから、昔はどうだったか聞いてみる。そうすると、このまちづくりでは自分の話をよく聞いてくれるではないかと思ってくれます。好印象を持ってくれ、がんばれよということになります。そういう点でも歴史から始めるとやりやすいのです。 また、まちづくりをするときは、一旦課題を横に置いておいた方がいいと思います。いいところ探しをする。課題を先にならべると話が前に進みにくく、まちづくりが重たい雰囲気になってしまいます。楽しくまちづくりをするためにはいいところを探すことから始めるほうがいい。私の長い経験から言っても、楽しく気軽なまちづくりができると、もっとたくさんの人にかかわってもらえるのではないかと思います。そのための場が交流の場、いろんな方が集まってワイワイ、ガヤガヤする場なのです。 今、八尾市で「まちづくりラウンドテーブル」というのをやっています。小学校区単位で、月1回みんなが集まって、ワイワイ、ガヤガヤ話をしようというのが「まちづくりラウンドテーブル」です。八尾には29の小学校があり、その中の東山本小学校区と桂小学校区の2ヶ所で2年間ほどやっています。それから、この6月から交野市でも「まちづくりラウンドテーブル」が始まりました。交野市は市域が小さいので、市全体を対象としたものにしています。ゆくゆくは小学校区単位で話し合いができたらいいと思っているのですが、その準備期間として今は市全体で行っています。吹田市では、北千里地域交流会があります。ここは、空間的には範囲を限定してはいないのですが、主に北千里駅周辺の地域の方が中心に月1回集まっています。この交流会はちょっとユニークで、呼びかけ人が北千里の商店会の方々です。商店会の方が自主的にたちあげたもので、行政はほとんど絡んでいません。それから大阪市住之江区でも、2ヶ月に1度ですが「まちづくりフォーラム」というのをやっています。 さまざまな地域でお手伝いをしながら交流の場の仕掛けづくりをしています。ここで何をするかというと、月に1回ほど集まってみんなでワイワイ、ガヤガヤするだけです。それだけという意味は、意思決定を行わない、物事の決め事をしないということです。この話をすると、たいてい何だそれはと思われてしまいます。物事を決めないで先に進むのかという疑問を持たれます。答えをいえば、それでもきちんと進みます。いろんなところでやってきた経験から言えば、どんどん前に進みます。なぜかということは後ほどお話いたしますが、物事はちゃんと前に進みます。みんなでワイワイ、ガヤガヤやっているとネットワークが生まれてきます。あの人はあんな考え方をしているんだとか、あんな技をもっているんだとかがわかって、一緒にやっていけると感じるようになるのです。 今までは、組織をつくってしっかりと物事を決めて、活動につなげていったのですがそうではない。交流の場は文字通り「場」であって「組織」ではない。この点をきちんと整理すると、いろんなことが見えてきます。地域にはたくさんの組織が存在しています。自治会・PTA・福祉委員会・青少年指導員会など、いろんな会合があります。こうした既存の組織がある上にまた組織をつくろうとすると、従来の組織の人から反発が起こるわけです。しかし、交流の場はみんなでただ集まってワイワイする場ですから、従来の組織を束縛しませんと言うことができます。そういう点でも、組織ではなく場が必要だということがわかると思います。 |
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| 4.交流の場の意味と特徴 | ||||||||||
| 引き続き「交流の場の意味と特徴」についてお話します。 さきほどもお話したように、交流の場では意思決定はしません。意思決定とは何だろうかと改めて考えてみるといろいろなことがわかってきます。私たちが1日あるいは1年暮らしている中でよくよく考えてみるとそれほど意思決定をしていないことに気がつきます。普段は何気なく暮らしているのです。たとえば、1週間の献立を、家族会議を開いて意思決定しているお宅はありますでしょうか。ありませんよね。誰かが思いついて、その日にある材料でつくっているわけです。それで十分暮らしていけるのです。あるいは、電車で座っていて、お年寄りが前に立ちました。席を替わるかどうか意思決定をしますか。さぁどうぞと替わりますよね。このように、私たちは普段話し合いで意思決定をしなくとも、いろんなことを行いながら生活しているのです。逆に考えると、何に意思決定が必要なのかという点が見えてくるのです。意思決定しなくていいものと、しなくてはいけないものがあって、逆になんでもかんでも意思決定しなくていいことに気がつくし、少なくともこのことは意思決定しなくてはいけないということが見えてくるのです。 利他的と利己的という言い方があります。利他というのは、他人の役に立つことで、この場合、意思決定しなくてもうまくいきます。しかし、利己的なことになると、自分の利益と他人の利益がぶつかることが多々起こります。ですから、利己的なものに関してはみんなで話し合ったり、調整したり、意思決定していかないとうまく進みません。なんでもかんでも意思決定しようとするから話し合いがたいへんになるのですが、そうではないということに気が付くと、違う展開になってきます。 具体的に、交流の場ではどんな話し合いが行われるかというと、ひとつは「情報交換」です。こんなイベントをしますけど来ませんか、こんな企画がありますけど一緒にやりませんかといった呼びかけで、私もやりたいということになると「協働活動」が生まれます。 次に「協力要請」です。がんばっているのだけれど、ちょっとこの部分が足りないということがあります。たとえば、子供たちに昔遊びを教えたい。会場も、資金も準備できたのですが、実際に教える人がいないので誰かいらっしゃいませんか。このような形のものです。一番多いのは、行動力もある、企画力もあるけど、お金がないというパターンです。ここで皆さんにお聞きします。今私はこういう活動をしています、資金が足りないので10万円くれませんかと聞かれて、わかった、10万円出しましょうといってくださる方いらっしゃいますでしょうか。なかなか難しい話ですね。だからお金をせびりやすい相手を探します。それは誰なのかというと市役所なのです。私たちこんなにがんばっているし、税金も納めているから10万円くれてもいいじゃないかという言い方になるのはこのためです。本当は市役所職員も対応に困ってしまうのですが。しかしよく探せば同じ市民の方でもお金を出せる人がいるのです。そのひとつの典型例が先ほど話をした北千里の地域交流会です。商店会が市民活動にお金を出してくれるのです。これはとってもいいことで、10万円欲しいといえばくれるのです。しかし、ただではくれません。どういう仕組みかというと、ご近所や親戚から50万円分の買い物シールを集めて持っていくと10万円もらえます。このしくみでは商店会も50万円分の売上がありますし、市民活動グループ側も10万円もらえるのでお互いハッピーになります。困っている人がお互いに助け合う場所として利用できれば、「協力要請」の話はうまく行くのです。こういう仕組みがうまく動くと前へ、前へ進みます。同じ立場の人や同じ悩みを抱えている人が集まってもうまく前へ行きません。知恵はある、体は動くけれどお金がない人ばかりが集まっても誰もお金を出してくれませんから先に進まないのです。 さて、3番目の話題は「課題持込」です。課題がある、困っている、でも何もできないという課題を持ち込まれることがあります。誰かが手を上げたら解決できるのだろうけれど、誰も手を上げないので、課題が課題のまま残ってしまう。これはとても難しい問題なのですが、数回かけて考えていくと、私はこれができるということになって課題解決に向かったりします。しかし、なかなかそうはいきません。そんな時、もっと議論が必要な場合、意思決定がないと動けない場合は別の場所に移したり、議論を行う新しい組織を生み出したりして、時間をかけて解決していくことになります。交流の場はあくまでも入り口で、ああでもない、こうでもないと知恵を重ねて、すぐに行動に移せるための大切な出会いの場なのです。 次に、交流の場というのは今までのまちづくりとどういう関係にあるのか話していきたいと思います。「交流/対話/計画作り/事業・活動展開」と整理したとき、通常は右の3つ(対話/計画作り/事業・活動展開)がまちづくりだったのです。話し合いをして、意思決定をして、計画をつくって、その計画に基づいて事業・活動を展開するというのが今までのまちづくりの過程です。大阪市が発行しているパンフレット「みんなで一緒につくるまち」に載っている流れもこのとおりになっています。これはこれでとても大切なのですが、その一歩手前に、みんなでワイワイ、ガヤガヤできる場所をつくりたいというのが私の思いであり交流の場づくりなのです。交流の場でワイワイ、ガヤガヤ話しているうちに、このまちではこんなコトが必要だということが見えてきて、通常のまちづくりプロセスに乗っていくのです。ワイワイ、ガヤガヤやって、このまちにはこんなコトが必要だなと思ったら、まちづくり協議会をつくってもらい、そこで真剣に考えていくというプロセスができるのです。ここで繰り返し話をして、そのネタがどんどん今までのまちづくりの中に反映されていくという関係で、交流の場とまちづくりを関連付けてくださればいいのではと思います。 昨年までは、この『交流の場』を『対話の場』と言っておりました。対話だといってしまったために誤解が生じてしまいました。話し合って答えを出さないといけないと思われた方がいらっしゃいました。その誤解を招かないために、交流の場と対話の場という言葉を使い分けています。決め事をしていくのが対話の場。決め事をしないで、ワイワイ、ガヤガヤしているだけが交流の場ということです。なぜ、今までのまちづくりと違って、決め事をしなくても前へ進むのかというと、その鍵は主体性・自発性にあります。つまり、やる気のある人間がいっぱいいるからこそ、誰かが何かを投げかけたら、誰かがやるよといってくださるのです。動ける人間、やる気のある人間、こういう積極的な人たちがいっぱいいるから、決め事をしなくても前へ進むのです。逆に今までの話し合いがしんどかったのは、皆、言うことはいうけど動かないからです。「こんな課題があるけど、何とかしてくれないか。」「誰がするのですか。」「私じゃない、あなた方がやったらいいではないですか。」ということになるから前に進まなくなるのです。人のせいにしないまちづくりが大切なのですが、交流の場ではそれがどんどん解決していきます。一度皆さんも覗いてみてください。本当に雰囲気のいい中で皆さんがワイワイ、ガヤガヤやっておられます。そういう雰囲気を皆さんとも経験していきたいなと思っています。 |
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| 質疑応答 | ||||||||||
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